最期の時にすべてがわかる。愛されていた人たちの最期。

どうも。芝野加誉子です。

ここ最近のわたしの課題は父と向き合うことのようです。確かこの前も書いたな…笑

わたしは物心つく前から、公務員だった祖父母に「きちんとする」よう育てられてきました。跡継ぎには甘い芝野家。「きちんと」を強要されたのはわたしだけ。父や弟はわたしから見るとちゃらんぽらんの塊でした。

実力で勝ち取った携帯電話でさえ、弟は中学生の時に何の苦労もせず手に入れた。成績は学年の下から2番目でも平気な顔をしている。父は父で、昼間は家でゴロゴロしていて、夜になると接待だと言って飲みに出掛けて行く。

いつも越路吹雪さんの「ろくでなし」を歌ってやろうかと思ってました。

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*越路吹雪さん。画像はお借りしてきてます。

でも本当は羨ましかったんだと思います。だって自由だったから。

そんなわたしが「きちんと」を手放したのは弟が死んだ時。

棺に入った弟を連れて帰ってしばらくして。すぐたくさんの友達が集まってきてくれました。高校を卒業したばかりの子たちの情報網って凄いよね。

でもたくさん人が集まれば良いってもんじゃない。たくさんの子たちが弟のために泣いてくれていた。

わたしも人間こんなに涙が出るんだってくらい泣き通しでした。涙が枯れることってないんだと思った。でもそんな泣きながら思ったこと。

短かったけど、すごく幸せで充実した人生を送ったんだね。

まさに太く短い人生。

それからわたしは、誰かに敷かれたレールの上を文句ばかり言いながら歩くのはやめて、自分の人生は自分で決めることにしました。モットーは太く長く

そして昨年10月末に父が死んだ時。警察署から葬儀場に父を連れて帰ってしばらくして、すぐに父のお友達が来てくださいました。父の関係の情報網も凄いよね 笑

それから泣く暇もないほど弔問客の対応に追われる。いや、わたしの涙はさっさと枯れ果ててたんだわ 笑

父と最後のお別れの時。号泣してくださっている方がいた。父の愛人だった人 笑

愛人だろうが何だろうが、父のためにそんなに泣いてくださる方がいることは娘として本当にありがたいことです。父も幸せな人生を送ってきたことがわかるから。

葬儀場にいた父の元愛人の数は8人(母談)
別れてからも来てくださるんだから、父はそれだけ愛されていたんだね。

「家にお金を入れず、外であれだけ使ってたら当たり前」と母は言うけれど、それは違う。お金だけじゃあんなに泣いてはもらえない。

家族に恵まれなかった父も、たぶん弟と同じくらい幸せな人生だったはず。それを最期に見せてくれた。

わたしの最期、そんなに泣いてくれる人はいるのだろうか…

最期の時に、わたしの人生幸せだったと思えるように日々を大切に生きていこうと思います。

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